学習院大学輔仁会ラグビー部との「記念試合」(6月23日 日曜日 日吉グラウンド)
塾蹴球部の創部120周年にあたり、その記念行事の一環として、下記の通り歴史的経緯もあることから、学習院大学と田中銀之助氏の所縁を偲ぶ「記念試合」を行うこととなりました。
試合情報の詳細は以下の通りです。
<日時> 6月23日(日)
<場所> 慶大日吉グラウンド
<キックオフ時間> 13:00K.O(40分ハーフ1試合)
慶應義塾には、明治32年(1899年)に当時英語教師であったE・B・クラーク氏がラグビーを伝えた。その普及活動にともに尽力した田中銀之助氏が学習院の出身者であることから、学習院にもほぼ同時期にラグビーが伝えられた。その後、学習院から習いに来るなど、塾蹴球部の選手によるラグビーの普及活動も行われた。
(解説)
日本ラグビーの父ともいうべきクラーク氏は、「私が慶應義塾にラグビーを紹介したのは、晩夏から冬にかけて屋外では何もすることが無いように見えたから。ラグビーへの興味を覚えたら、退屈しなくても済む。ラグビーの細かいところまで説明するために、友人の田中銀之助に援助を依頼すると、彼は喜んで大変な熱意で事に当たってくれた。こうしてゲームは始まった」と語ったとされている。(塾蹴球部100年史より)
田中銀之助氏は、英国ケンブリッジ大学時代から旧知であったクラーク氏からの依頼により、本場英国のラグビーを慶應義塾に教えることとなった。しかし、相手が居なくては試合も出来ないことから、かつての母校の学習院にもラグビーを教えた。
塾でクラーク氏から直接ラグビーの手ほどきを受けた松岡正男氏(昭和5年当時 日本ラグビー協会副会長)は、協会の機関誌「ラグビー」の創刊(昭和5年10月)にあたり、「回想」と題してラグビー発祥の頃を振り返っているが、その中で「田中銀之助氏はラグビーの普及を計画され、氏の母校である学習院にこれをすすめた」と記している。
また、第二代日本ラグビー協会会長である慶應の田辺九万三氏のメモに「学習院より4名習いに来る。三島、柳谷ほか二名」という記述がある。
注)この文中の「三島」は、NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公である金栗四三とともにストックホルム五輪に出場した、三島彌彦。
(補足)学習院ラグビーについて
明治35年(1902年)頃の四ツ谷学習院グランドにおける田中銀之助氏によるスクラム指導の写真(別添1)や、明治38年(1905年)頃の時事新報(別添2)等におけるラグビー活動を伝える記事なども残存。
(別添1)田中銀之助氏によるスクラム指導
(別添2)明治38年の時事新報
しかしながら、学習院におけるラグビーは、その後暫く活動を中断。再び記録が確認できるのが昭和3年(1928年)の東京日日新聞の記事であったことから、この年を輔仁会ラグビー部創立の年とすることを昭和53年(1978年)に決定。
※学習院大学ラグビー部は現在、関東大学対抗戦Bグループに所属(2018年度 3勝4敗)